⚾︎オーストラリアソフトボール日記⚾︎

オーストラリアでしたソフトボールをしながらブログを書いたり、留学生をサポートしています。

私が今まで心がけてきたエースの心得

 

 

アスリートライターのはるかです。

 

 

今回の記事は、「私が今まで心がけてきたエースの心得」

について書いて行こうと思います。

 

これから書くことは、あくまで私の心得なのでマウンドに立っているときはこんな気持ちで投げていたら、私みたいに生意気なピッチャーが完成しますよという気持ちで見て頂けたらなと思います。笑

もう完治もしましたし、ここでカミングアウトしてもいいかなと思ったのと、私みたいに無理する基準も自分で後悔しないようにしてほしいと思ったので書くことにします。

実は、2回生の秋リーグの二次部別辺りから、肩に違和感を感じていました。もちろん大切な利き腕の左肩です。しかし、この時の私はチームのエースを背負っていましたし、春も秋もほとんどの試合を投げ切りました。

秋リーグが終わった段階で辞めておけば、後まで引きずらなかったのかも知れませんが、私が二回生だったことから、新人戦も控えており1,2回生合わせて9人ぴったりでの試合でした。

その為、「肩が痛くて投げれない」とは絶対口にはできなかったし、「これが終わればシーズンオフに入るし、この試合まで無理をしてでも投げ切る。」と決めていました。

試合前から、ストレッチの肩を上げることすらきついくらいの肩で無理やり投げ、試合後には肩も上がらない程重症でした。

ですが、「休めば治る」という根拠もない自信で、その時は監督やコーチに伝え少しの間全体練習を抜けることにしました。

試合が終わって病院に行き、けがをしたときの一般的な診察をして、レントゲンやMRIを撮りました。

しかし、特別肩が抜けているわけでもない、螺旋骨折でもない、疲労骨折でもない。

結局、「多分、軟骨がちょっと擦れて痛いかもしれないですね」と言われただけで、結局原因不明なまま治療が始まりました。

11月に休み始めたので、「3月のリーグには間に合いますよ」とお医者さんにいってもらい、ひとまず安心しました。

電気を流したり、関節を動かしたりして肩を柔らかくしたりいろんなことをして、少しずつ回復しているように感じました。

しかし、私からしたら「1月くらいから投げないと大会に出られない可能性がある」ということも分かっていたので、その辺りから少し焦り始めました。

なぜなら、「私が感じている痛みが、投げれるようになると確信が持てるほど回復していなかった」からです。

12月の年末に、「さすがにおかしい」と思って先生に思っているように痛みが取れていないことを伝えると、「もしかしたら間に合わないかもしれない」と申告されました。

痛みも取れないし、もしかしたら元々持っていたパフォーマンスまで戻ることが出来ないかもしれないという焦りから、涙が出ました。

今までの私のモットーは「いつ投げれなくなってもいいから、この目の前の試合をどうしても勝ちたい」ということが私の望みでした。

もし仮に、ここで私が投げなくて負けたら後悔すると思っていましたし、これは今でも正直変わっていません。

ですが、けがをして初めて「マウンドに立つことが好きなんだ」ということが初めてわかりました。

でも現実は変えることが出来ないし、私は病院に通うのをやめ整骨院や神の手と言われている人のところを紹介してもらったりと様々な方法で治す方法を探しました。

結果的に診断されたのが

「亜脱臼」でした。

亜脱臼とは、骨が少しだけずれていることを指します。

MRI等でも見つけることのできない症状だそうです。

骨がずれた状態で今までピッチャーをしていたと思うとぞっとしますが、投げれてしまうもんなんだとも感じました。

結局、痛みが完全に取れないまま復帰したせいで春リーグも自分の納得した結果が出せないまま終わりました。

西カレ前にも1週間休みをもらわないといけないことにもなりました。

あと、チームのために無理しても投げている以上はそんなこと関係ないので周りは容赦なく私のピッチングに指摘してきます。

特に勝ち負けを大きく分けるポジションなので特に目立ちます。

私自身も怪我のせいで自分のパフォーマンスが落ちていると考えたくなかったので、更に無理をします。

大学3回生春リーグからは、この負のスパイラルに陥っていました。

大袈裟かもしれませんが、私が怪我している最中に私が怪我をしていることを絶対ばらさないというのも徹底してきました。

その時には先輩やその他の人にも協力してもらって、練習試合の時にはマスクをして」病み上がりだから投げない」という設定にしましたし、他のチームの友だちにも絶対言いませんでした。

理由は「相手のエースが怪我してるからチャンスだ」と思われたらそこで相手に勝てるかもしれないというイメージを少しでも持たせてしまうのは不利だからです。

自分のことを過大評価しているように捉える方もいるかもしれませんが、エースはそれくらい「自分が居ないと勝てない」という責任感を持つべきだし、そういう人がエースにふさわしいと思います。

ただ、ここまで書いてきたエースの在り方は普通の人とは少し違うかもしれません。

私の中のエースの存在は、決して全くマウンドを譲らないことを美化している訳ではなく、「ピッチャー陣のキャプテン」であるべきだと思っています。

上記に書いていることとちょっと話が違うのでは?と疑問に思う方もいるかと思いますが、下記で詳しく書いて行きます。

私は「仲間のミスをカバーできるピッチャーになること」を常に頭に置いてやってきました。

これは忘れもしない中学生の時の試合の話です。

私が通っていた宝殿中学校は、当時同級生にものすごいライズボールを投げる同級生が居ました。

その子が先発で投げている試合で、満塁のピンチで私がマウンドに上がることになりました。私のその時の気持ちは

「え、こんなことろで替えられたら困る!!!」

というすーーーごくマイナスな気持ちで上がったことを今でも覚えています(笑)

その時は、多分5点ほど一気に取られてしまったと思います。本当にその時のマウンドに上がった後は頭が真っ白で覚えていません(笑)

その時周りからは

「あんなタイミングで替えたらかわいそう」

という声も上がっていました。

しかし、せっかくエースに這い上がれるチャンスでそんな弱気な気持ちで上がってしまったことを反省すると同時に、中学生ながら「チームを助けるためのピッチング」を考えるようになりました。

その経験が生きて、高校では「ピッチャー陣で一つの勝利を」という目標が叶った瞬間でした。

日本ではまだまだ一人エースが目立ちますが、決して一人で投げ切って勝ち切ることが正義ではありません。

少なからず、創志学園ではローテーションで勝ち切りましたし、誰かのピンチを引きずらずにピッチャーの変わり目でピンチを救えるピッチャーがいるチームは強いです。

今後どこかのタイミングで指導者の立場に回ることになったときには、この心得を伝えたいなと思っています。

 

初めて肩を怪我したことを公の場に書くのでどんな反応が返ってくるか、今後プラスになるのかマイナスになるのかもわかりません。もし現在選手の人が読んで気を付けようと思ってくれたら嬉しいですし、共感、誰かを助ける文書になってたらいいなと思います。

追伸:大学ソフトボールを引退して休養を取ってから痛みがなくなったので、最後の最後まで無理をしていたことがオーストラリアに来て初めてわかりました。結果、十分な休養は非常に大事だということは忘れないでください…。

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はるか